VP-40が P-3Bを取得したのは、1967年9月、翌年にはP-3Cに機種更新しており,いち早くC型に更新した飛行隊の一つである。この更新でアメリカ海軍は、1911年から続く飛行艇時代に幕を閉じた。
VP-40
尾翼のカジキのマーキングが印象的な部隊であったが、この尾翼のデザインも数年ごとに変更されて、その都度P-3フリークの話題に登っていた。私にとっても、一番撮影の機会に恵まれたVP飛行隊だった。しかし、VP-40のP-3を初めて厚木基地で撮影した時、尾翼に書かれたカジキのマークは小さ過ぎ、しかも色も白っぽく書かれており、視力の弱い私には、毛虫にしか見えなかった。其の為、あまり食指をそそる部隊マークではなかったが、怪獣映画”モスラ”のように、この毛虫は後に見事なブルーマーリン(カジキ)に成長し、そのデザインにはうっとりした記憶がある。この飛行隊が当初採用したインシグニアは、”潜水艦を襲う雀蜂”の絵柄だったが、PBM-5からP5M-1に機種交換した1953年頃からカジキマグロに変わっている。

(1988)

(1988)

(1988)

QE-3/159323
QE-3/159323
QE-5/159325
QE-1/159321
QE-2/157325
Tail-Marking(1976)

一覧の写真とは関係ないが、1969年にP-3C受領後、VP-40は、VP-4の交代で日本の岩国基地に配備されたとある。この時代は、ベトナム戦たけなわの頃に当たり、彼らの任務も遥々カムラン湾への長距離渡洋飛行をもって、南ベトナム政府の支援任務を遂行していた。海のルートを通じてのベトコンへの物資輸送を監視していたのだ。

1972年VP-40は、再び岩国へ配備され、この時タイのウタパオ基地にも3機のP-3C分遣隊を置いたとされる。

尚 この部隊のインシグニアにもあるモットー”LAGING HANDA”は、スペインの統治の影響を受けたフィリピンのタガログ語で「常に備えろ」と言う意味らしく、フィリピンのケソン市には、同名の地域がある。また、フィリピンのボーイスカウトのモットーともなっている。
QE-11/159329
Tail-Marking(1980)
1985年〜1986年にVP-40は、P-3C Update-Vに更新。P-3C実戦部隊として最初にUpdate-Vを受け取った部隊でもある。
Tail-Marking (1997)

(1988)

(1988)

(1988)

(1997)
(1980)
P-3C of Fighting Marlins taxing on runway at NAF Atsugi 1976
QE-6/159326
QE-3/159323
QE-4/159324
QE-5/159325

1977

New Marking VP-40

↑ 1980年9月7日三沢基地のNAVYエリアに駐機する3機のVP-40新塗装機、カジキのマリンブルーが美しい。

VP-40は、1951年海軍で最初にPBMマーリン飛行艇を受領して対潜任務に就いた飛行隊で 部隊名の”ファイティング・マーリン”もこの事に関連するようだ。マーリンは、カジキマグロのことであるが、戦闘意欲の象徴となっている。当のカジキマグロも戦闘意識の強い魚であり、自分よりはるかに大きい鯨に戦いを挑み、鯨の横腹に長いくちばしを突っ込むような激しい攻撃行動を行う。同飛行隊、朝鮮戦争時に最初に派遣を命ぜられた対潜哨戒飛行隊で、その時は岩国を拠点に朝鮮水域の警戒に当たっていた。
HOME
NEXT
click here
QE-7/159327

1980年7月にNAF三沢に配備されたVP-40の機体には、新たに採用されたビック・マーリンが描かれていた。私は、1983年の三沢基地航空祭でも再びVP-40に出会えた。

(1983)

(1988)

(1988)

(1991)
(1983)
(1983)

1980年VP-40は、三沢基地に配備され、キュービーポイントとインド洋の孤島ディエゴガルシアに分遣隊を持っていた。丁度その年の8月ソ連の潜水艦が沖縄本島の東方海上で火災事故を起こし乗員名が死亡する事故で、乗員救助のための出動も行っている。

QE-10/159328
QE-764 (1997)
QE-334 (1997)
Wings